鳴海さんの思い出(皇太子殿下との演奏会)

私が東京J.S.バッハ合唱団に入団したのはもう10年余り前のことですが鳴海さんにお会いしたのもその頃です。合唱団のゲストとして歌っておられました。その後すぐにソリス トとして我々の合唱団の公演にはいつもすばらしいアルトの声で参加していただきました。

特に印象が深かったのは1998年2月21日(土)東京芸術劇場におけるヨハネ受難曲のソロでした。この時私は当団の委員長をしていたこともありますが、ドイツのバッハゆかりのトーマス協会のカントレのビラーさんを指揮者に迎え合唱団オーケストラ共に立派な公演が出来、特に鳴海さんには池袋の芸術劇場につめかけた大聴衆がたいへんな拍手で今もその時 の事が思い出に残ります。

前田幸一郎先生追悼演奏会・写真
■前田幸一郎先生追悼演奏会(1999.1.23)
  学習院OBの皇太子殿下も出演

ちょうどその頃、私の出身の学習院音楽部の大先輩、故前田 幸一郎先生の没後10年の追悼公演会の企画がされており私も幹事として参加しておりまし た。前田先生は私が入学した昭和28年頃すでに宗教音楽では第一人者の御一人で本邦初演 の合唱曲は数多く手掛けられ、後 山形大学にも講師として行かれ。(高橋誠也先生との 出会い)学習院の音楽の最大の功労者でした。その追悼演奏会は1999年1月23日、会場は東 京芸術劇場と決まっておりました。曲はヴェルディのレクエム。合唱は学習院OB合唱団。 オーケストラは学習院OB管絃楽団。指揮は三石精一氏でした。その時のソリストは合唱団関係者の推薦にすると決めておりました。そこで幹事の私は当然鳴海さんを推薦致しま した。しかし候補者が多く人選ははかどらず、やきもきしましたがやっと鳴海さんに決った時は本当にうれしく思いました。が、同時に鳴海さんにたいした了解もとらずに進めた のではないか、そのような気持ちになり、心配になりました。実はこの演奏会はオーケストラの一員として皇太子殿下の御出演が決っておりました。殿下は学生時代からヴィオラ 奏者として多くの演奏会に出演されておりましたが学習院の外での演奏会にはそんなに多くは出演されておりません。その時も鳴海さんの気持の負担になりはしないか、 これまた心配になりました。

当日の演奏会の鳴海さんの出来ばえは大変すばらしく、オペラ作曲家ヴェルディの曲を歌うのには一番相応しい歌手とか後々の幹事会では各委員から誉められ私は私の事の様にうれしくなりました。

当日の会場には雅子様をはじめ、小和田国連大使、イタリア大使御夫妻など各要人も沢山お見えになりました。

オーケストラをしたがえての鳴海さんの姿は合唱団の中から歌う私の位置からもよく見え、私の脳裏にはっきりきざまれています。終演後、打ち上げ会が学習院大学の会場で関係者だけでおこなわれました。私が鳴海さんが一人ぼっちにならないか注意しておりましたがソリストの挨拶など堂々とされ、私の心配はなくなりました。私は皇太子殿下にソリス トの鳴海さんがお話しをしたいと言っておりますがよろしいですかとお聞きすると、殿下がぜひとの御返事があり、少し緊張していた鳴海さんの背中を押しながらお連れしました。 雅子様も御一緒に片手にビールかジュースの缶を持ちながら三人で色々の話題を話され、特に国連の話に花がさいたようでした。私も仲間に入れていただき自分のことのようにう しい気持になりました。

あれからまだ何年もたたないのに他界された鳴海さん。私は何と言っていいか言葉もありません。ただ ただ 黙するのみ。

 
学習院輔仁会 音楽部OB 丸山 周次

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