2002年4月30日33歳の若さで急逝されたの鳴海 真希子さん(Profile|プロフィール )がバッハ合唱団に携われた思い出を綴ってみました。
鳴海さんとの出会いは1992年バッハ合唱団(指揮:高橋 誠也)の「ヨハネ受難曲」演奏会のエキストラ出演の時でした。
身体のとても大きな方、そしてそれにも勝る大きなすばらしい声にびっくりしたのを覚えています。 2回エキストラを経て1993年10月にはアルト・ソリストとして出演することになったのです。
"高橋先生が鳴海にソロをさせたいと言っていたわよ!!" と伝えると" エッ!本当ですか? うれしいー!" と大喜びをした時はまだあどけない東京芸術大学の3年生だったと思います。
カンタータ2曲のソリストぶりは見事なものでした。
その後はアルトのソロといえば鳴海真希子さんでした。「マタイ受難曲」3回、「ヨハネ受難曲」2回、「ミサ曲ロ短調」1回、エキストラ出演も入れて計9回も同じステージで歌っているのです。
バッハ合唱団ご出演の最後になってしまった2000年4月の「マタイ受難曲」のソロは特にすばらしいものでした。 有名な39番のアリア「憐れんでください、私の神よ!私の涙ゆえに」 で拍手が沸き起こったのです。 この演奏を聴かれた方の評論には「女性陣では鳴海のアルトが素晴しく彼女の持続する声量と絶妙なコントロールが特に印象に残った。
39番のアリアは絶品で、何とここで拍手が出たのには驚いたが、それほど素晴しいものであった。」とありました。
合唱に関しても『合唱も余裕でハーモニーを響かせ何かしら奥の深さを感じる。63番の合唱「本当にこの人は神の子だった」では透明感溢れる合唱が次第に厚みを増して行く様が身震いするほど感動的だった』と評を頂きました。
その「マタイ受難曲」オケ合わせの日、前日にはニューヨークから帰国、時差ぼけもあって遅刻 (勿論連絡ありです)をし、かけ込んできた時のこと、
丁度、アルトのソロが始まるところでした。なんとハーハーと息をはかせているにも拘わらず説得力のある深みあある声で堂々と歌う彼女のすごさに、
その場に居合わせた団員の方々はびっくり唖然としたのです。彼女の歌唱はとにかく観客を魅了し、感動を与えるのです。 これは実力と共に彼女のお人柄、人間性の表れなのだと思います。
■バッハ合唱団主催の下記定期演奏会にアルト・ソリストとして6 回出演していただきました。
1. 1993年10月24日 | 第3回 定期演奏会 | カンタータ 第68・92番 | 指揮:高橋 誠也 |
2. 1995年 4月 8日 | 第4回 定期演奏会 | マタイ受難曲 | 指揮:高橋 誠也 |
3. 1996年 4月20日 | 第5回 定期演奏会 | ロ短調ミサ曲 | 指揮:高橋 誠也 |
4. 1997年 3月22日 | 第6回 定期演奏会 | マタイ受難曲 | 指揮:高橋 誠也 |
5. 1998年 2月21日 | 第7回 定期演奏会 | ヨハネ受難曲 | 指揮者のビラー氏と |
6. 2000年 4月 8日 | 第9回 定期演奏会 | マタイ受難曲 | 指揮:高橋 誠也 |
それでは、出演された演奏会での歌声をお聴きください。
◆第9回定期演奏会(マタイ受難曲)から
第52曲 Können Tränen meiner Wangen
第60曲(ビデオ) Sehet, Jesus hat die Hand
◆第7回定期演奏会(ヨハネ受難曲)から
第7曲 Von den Stricken meiner Sunden